今回は自分なりに行き方を決めて生きてきたエリートおじさんが不条理に巻き込まれ、そして神の気まぐれで不条理だらけの世界でもがく姿を鑑賞するはずが新しいロリの形を見出すことになってしまった作品の紹介です。
統一暦1926年。ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐率いる、帝国軍第二〇三航空魔導大隊は、南方大陸にて共和国軍残党を相手取る戦役を征す。
凱旋休暇を期待していた彼らだが、本国で待ち受けていたのは、参謀本部の特命であった。
曰く、『連邦国境付近にて、大規模動員の兆しあり』。新たな巨人の目覚めを前に、なりふり構わぬ帝国軍は、自ずと戦火を拡大してゆく……
時を同じく、連邦内部に連合王国主導の多国籍義勇軍が足を踏み入れる。
敵の敵は、親愛なる友。国家理性に導かれ、数奇な運命をたどる彼らの中には、一人の少女がいた。
メアリー・スー准尉。父を殺した帝国に対する正義を求め、彼女は銃を取る。
劇場版 幼女戦記(公式サイト)
今回紹介する「劇場版 幼女戦記」は1時間半ほどのアニメ映画作品だ。
既に通常のTV放映枠でアニメが放送されている作品の映画化でそちらのレビューもしているが見応えがありなかなかに反響のあった作品の劇場版化作品となっている。
今作ではアニメ版の最終話の最後に取り上げられた北アフリカ戦線への転属のその後を描いたところからスタートする。
アニメファンからすれば映画化に際して総集編などでお茶を濁すようなことをすることなく劇場版で続きの物語を描いてくれるのはなかなか好感触と言える。
まず、本作の冒頭部において作中で主人公たちが活躍している1926年ではなく1966年の英国にて元帝国軍主任技師のアーデルハイドが作中の戦争を過去の大戦を回顧して記者に語るシーンがある。
作中においてはその技師の回想から実際に主人公たちの足跡を描くような演出のための導入部としての役割として働いている様に見られるがここで私は改めて本作の歴史設定についてすこしがっかりしてしまっていた。本来は兵器の進化や社会制度、経済状況の変化によって引き起こされて戦われた第一次大戦と第二次大戦が一緒くたに表現されてしまっているように感じたからだ。
こうなってくるとある程度は物語のバックボーンにリアリティを求める
なにはともあれ、本作の物語はアニメ本編後で「俺たちの戦いはこれからだ」スタイルでこれから北アフリカ戦線で戦うぞ!というところで終了した場面を引き継いで北アフリカ戦線での戦闘から幕開けとなった。
余計な付け足しなどをせずにすぐに戦闘が始まるところやサクサクとターニャたん(おじさん)が活躍して「いつもの」突撃と突破によって「敵の本拠地を殲滅」することによってその地域での戦闘に終止符を打って輝かしい戦果を挙げるところはテンポ良く見えるいうか、いかにも幼女戦記らしい展開だ。
だがここでも史実とは対称的に北アフリカ戦線の攻防や戦況が一方的かつ一瞬で勝利へと傾いてしまう流れは先程述べた通り、物語の厚みを薄くしてしまってもったいない様にも感じた。
そして北アフリカでの戦闘描写は早々に終わり、戦域の戦況はターニャたん(おじさん)の所属する帝国側の勝利によって一区切りがつき、ターニャたん(おじさん)およびその部隊は本国へ帰還して少しばかりの休息を楽しもうとするが本国へ戻った部隊を待ち受けて居たのは不穏な状況が燻る連邦国(ロシア)側にたいする敵の戦力配置の偵察指令で部隊は砂漠地帯の任務を終えて本国に着くなり輸送機にて極寒の地へと移動させられ、部隊は国境を侵犯し敵地へ侵入して敵の戦力配置等の偵察を始めることになる。
だがそこで連邦側の先制攻撃による侵攻を受けて偵察に出ていたターニャ隊は新たな戦争に巻き込まれる。
ターニャ隊による敵地での戦闘自体は敵後方部隊への奇襲攻撃のようなものだったので楽に片がついたのだが、その一方で自国の国境付近の前線では敵(連邦)側による攻勢が続いていて準備不足かつ戦力不足の帝国軍は苦戦を強いられていた。
そのため、偵察の為に前線より奥地へ進出していたターニャ隊は上層部にその状況を打破すべく支援を行うように命令するが、ターニャたん(おじさん)は敵を陽動してその勢いを削ぐのを目的にアニメ作中でもよくやった様な敵国首都への強襲作戦を展開することに。そしてそこにはあの因縁?というか一方的にターニャたんに遺恨を抱いている彼女が多国籍軍の一員として参加していた。
さて、ここからが本作におけるもっとも盛り上がりを見せ、映像作品としては魅力的に、その一方で作品全体に対してはマイナスのイメージを持つことになってしまうまさに「幼女戦記」の物語の幕開けとなる。
ようこそ…幼女戦記へ。
ここからは中二病的な表現をするならば「神に導かれし者たち」の戦いとでもいったところであろうか、超人的な二人の戦いが発生する。
アニメ本編でなぜ大きな力を持つに至ったのかがある程度は丁寧に説明されていたターニャたんに対してあの少女メアリーたんが一見してターニャたんを軽く凌駕するような能力(もはや単体で戦略兵器級)をいかにして獲得し得たのかは説明がなく、ここからは物語に整合性を求める者にとっては「?」のマークが頭の上から取れないもやもやした状況が最後まで続くことになってしまうだろう。
戦争も従来の仕事と同じ様に捕らえ、前世の記憶や性格を受け継いでいることもあり淡々と戦争のなかで兵士としての仕事を全うしようとするターニャたん(おじさん)に対してメアリーたんは基本的には戦争の現実から目を背けて実際には死に場所を求めるかの様な無謀な行動の結果死んだ父の仇を討とうとする”無知”な「復讐の鬼」として、そしてその一方で心優しく純粋に正義を求める者としても振る舞うことにより視聴者は彼女自身に対して危うさや不安定さを感じることになるだろう。
そして私はそんな彼女をターニャたんに対抗しうる存在に仕立て上げる為に特に何の説明もなく「神(存在X)」が彼女にアホみたいな力を与えてしまったことに対して安っぽさを感じてしまった。
こうなってくると作者がいったい本作における存在X(神)の存在をどう定義しているのか、そして本作においていったい何を語りたいのか、歴史設定は?そして転生後の主人公の行く末は?という点において考察の余地を残しつつもしっかりとした展開が行われることなくぐにゃぐにゃに溶けたもはや「何処で」戦っているのかについても「何のため」にこの話が進んでいるのかも適当に設定したままとりあえず強い二人が用意されて戦って終わりという様な本作の話の流れは安っぽくなってしまい最初に述べた通り私にとって本作に対するイメージが良くなくなってししまい、本作の評価もあまり良くなくなってしまった。
だが悪いところばかりでもなく、二人の戦闘シーンはかなり作り込まれていて劇場で見たら映える見どころが幾つもある。
そして、休みのない配置転換や後方勤務の為に上層部に直接訴えかけた結果、やっと後方に回されると思いきや前線配置の戦闘団指揮官への抜擢など細かいところでは幼女戦記らしいオチがあるストーリーや他にも気合の入った戦闘シーンや演出など映える画が多々あった。
「細けぇことはいいんだよ」という精神で鑑賞すればTVアニメ放映版の続編もしくは番外編として十分に楽しめる作品となっているのではないだろうか。
はたして何が正しいのか。
いったい作者は存在X(神)に何を見出しているのか。
本作は何を訴えたいのか?
整合性を超越したその先に混沌以外のなにかが待つのかそれに期待してみたい気もする。
気になる人はぜひ視聴してその目で確かめて欲しい。
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