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2020年2月9日日曜日

ゆるキャンΔドラマ化から学ぶアニメ原理主義派。

アニメ業界ではその規模の拡大とアニメの社会への浸透や影響力の拡大を受けてそれらの作品を「実写化」つまりテレビドラマ化する流れが多くなり、そんな「三次元化」に反発するオタクがアニメの価値や概念を守ろうとするネガキャン運動が起こった。

萌系アニメのドラマ化は少なかったものの、「がっこうぐらし」をはじめとするいくつかのアニメ作品のドラマ化を敵視して狂信的で強固なアニメへのこだわりを振りかざす集団が散見される様になり、表現する呼称としてアニメ原理主義派と呼ばれるようになった。

後に自称アニメ鑑賞プロや自称作品の守護者の人が増加しブログやYoutube等で過激な発言を繰り返す様になると、そういった勢力を指す言葉としても使用されるようになり、アニメ原理主義派をそういった過激派と結びつける傾向が強まったが、ただ「そういった作品は見ないだけで口出しはしない」といった極めて常識的な闘争に依らないアニメ原理主義派も含まれていることを忘れてはならない。

一方で原作からアニメ、そしてドラマ化作品までひとつひとつの「作品」自体を愛してたとえドラマ化であっても作品の発展を喜び利益、発展であるとみなしていかなるネガキャンもするべきではないと信じる思想をもつドラマ化容認派も存在する。



さて、話を主題であるゆるキャンのドラマ化作品に戻して考えてみよう。
今回のドラマ化作品について視聴した人の感想はほとんど2つに極端に分かれた形となった。
今作においてはその中間に位置する評価を下す人はほとんど見かけなかった。それは原作基準として今作のドラマ化のクオリティは一定のものが維持されていて、従来の「アニメのドラマ化」につきものだったそもそもドラマも面白くないし原作を改変したり貶めるような低クオリティ化がなかったということを意味しているのではないだろうか。
そういった視点のみで今作のドラマ化を見て考えるならば今作の評価は高くなるはずである。そして実際に高評価をつける人も数多くいるのだ。そしてこれらの人がアニメファンのなかでも今回のドラマ化がクソでなくてホッとして、ほっこりとした笑顔でグッドマークをつけている「ドラマ化容認派」なのだ。

その一方で今作について酷評し続ける人が相当数いるということについても忘れてはならない。ではなぜ、これらの人は本作のドラマ化を扱き下ろすのか?

まず、はじめに二次元と三次元という根本が違うこと、そしてそれなので二次元の作品を三次元もしくは三次元の作品を二次元の作品にしてしまったらそれをもとに戻すことはできない(他の作品になってしまう)という不可逆性があることを挙げることができる。
*ここで言う二次元、三次元とはアニメや漫画などの話をするときに使われる二次元(アニメなどの絵画表現)と三次元(現実の人間の映像などの表現)の差について話しているということも合わせて述べておきたい。

そもそも質感から演技、そして物理法則に至るまで現実では実現不可能なことの多くがアニメや漫画の作品には詰め込まれている。これらの独特かつ「リアルではありえない」を『実際』に「リアルに表現する」ということは無理なのだ。
それなので多くのアニメ化やドラマ化では妥協や表現方法そして挙句の果てには作品の展開や設定そのものを変更することが多い。これは漫画<->アニメの世界ならアニメから原作、原作からアニメへと(そこでも問題はあるしさらに言えばそこにさえさらに厳格な原理主義を適用しようとする過激派も存在するが…)行き来し易いのに比べてアニメとドラマの間ではそれはかなり困難なものになってしまっている。
極論的な言い方をしてしまえば「テーマが同じ別作品」といってしまっても良いほどにドラマ化というものはその原作もしくはアニメ作品から乖離したものになってしまうのである。
これは作品への思い入れやこだわりの強い人ならば違和感を感じたり嫌悪感につながる原因になりうるし理解されうるアニメ原理主義派の主張の理由となるのではないだろうか。

そしてこれは先程述べたアニメとドラマの間の不可逆性の延長上の話とも言えるかもしれないがいままでのアニメのドラマ化が軒並み概ねクソ評価だったという歴史的経緯を無視することもできない。
人という生き物は嫌な記憶ほど強く長く覚えているものだ。幾程も行われてきた劣化ドラマ化作品に落胆させられてきた経験をもとにアニメのドラマ化に嫌悪感を覚えることにいったい何の罪があるのだろうか。

ドラマ化されるアニメといえばアニメとしても大ヒットしているということであり、そんな作品を見て、支持してきたアニメファン達が望むのは続編もしくはOVAのはずである。なのになぜドラマ化されるのか?同じストーリーをコスプレイヤーよりも少ないキャラクター再現への努力と独自解釈でもはやおなじ「テーマ」の『別作品』(概ねのストーリは同じなのでネタバレ済み)を見たい人がどれほどいるのだろうか?
*しかし、その一方で実写での芝居や演出や撮影のプロ達がアニメ作品をどう実写に落とし込んでくるのか。そういった好奇心を満たしたり、新たな解釈や作品の魅力に触れる機会があるのも事実だろう。

アニメのドラマ化を認めその魅力や楽しみ方を見出す人がいる一方で、この様に多くの人にとって「クソ」であり何一つ受け入れられないアニメ作品のドラマ化は受け入れられないというアニメ原理主義派はひとつのイデオロギーとして確立されていて、その価値観をもつ人にはもう何を言っても無意味であることは間違いない。

これを書いている筆者は原理主義派寄りとして今回のゆるキャンΔのドラマ化を原作のストーリーの再現度や演出を寄せたりとの努力を認めるが、キャラクター再現度についてはまったくもって満足できていない。しかし、聖地巡礼しなくてもゆるキャンΔの舞台を実写で楽しめるという「エアー聖地巡礼」作品として今作を視聴している。

今回、一つの視点として「アニメ原理主義派」とゆるキャンΔについて語ってみたが如何だっただろうか。様々な人が様々な価値観をもつ中でアニメのドラマ化は波紋を呼ぶがどうして「彼らは言い争うのか?」についてのひとつの答えとして助けになればと切に願う。
説だけにね。

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