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2019年1月10日木曜日

何時だって誰かが新たな世界を切り拓く!

Amazonプライムミュージック。普段からお気に入りの同じ様な音楽しか聞かない私ですが、ある日、新たな音楽との出会いを果たします。
それもなんとアニメーション劇中歌というではないですか。これは見るしか無いでしょう。
そんな訳で最近のレビューでは珍しい2018年夏アニメの紹介です!!


『舞台少女』――
それは未来の舞台少女を目指す、
キラめきに溢れた少女たち。
ある日彼女たちの元に1通のメールが届く。
「お待ちなさい あなたの望んだその星を」
輝く星を掴むべく、
オーディションに集まった9人の舞台少女。
光を求める想いが、執着が、運命が ――
舞台の上で交錯する。
今、レヴューの幕があがる。

少女 歌劇 レヴュースタァライト(公式サイト

今回紹介する少女 歌劇 レヴュースタァライト30分枠で演劇をテーマにした歌劇風アニメーションだ。

そこらへんの日常系などとは一線を画していてかなり真面目かつ気合の入ったアニメといえるだろう…と言いたいところだがなんとも惜しい作品となってしまっている。

その理由はこれからいくつか述べて行くが、とにかく今作は軽い気持ちで視聴できるようなアニメというよりかはカロリー高めのアニメで「アニメ」というより「アニメーション」という方がしっくりくる作品だった。



まず、今作を大きく形取る要素として「演劇」が挙げられる。

同様のキーワードとしては当ブログで既に紹介しているひなこのーとも同じ演劇というテーマを取り上げた作品となっているが今作の方がもっと硬いイメージで良いだろう。なぜならひなこのーとでは演劇部が有名だったという設定はあるものの実際にはその演劇部ではなく同棲する女の子たちと百合百合しくほのぼの日常を過ごしながら演劇を楽しむという日常系作品で楽しんで見るタイプの作品だったが今作では舞台が音楽学園の俳優育成科という「本気」「舞台に立つ」ことを夢見て切磋琢磨を続ける少女たちの集う場となっていてより真面目に演劇に焦点をあてた作品となっているからだ。

しかし、その一方でひなこのーとの方が不真面目かというと演劇という要素については今作もひなこのーともそれほど変わらないという現実がある。なぜかというと今作のうち「演劇」ともうひとつのテーマがあるのだが、それが…
「バトル・ロワイアル」
になっているということに起因しているのだ。

今作では主人公の愛城 華恋とそのクラスメイトを含めた9人の物語を描いている。
主人公の愛城 華恋はよく主人公に有るタイプのほのぼのしているけれども物怖じせずまっすぐ前に進むことのできる少女だ。第一話はそんな彼女が寝坊しかけて相部屋の相手である露崎 まひるちゃんに起こされるところから始まる。


第一話が始まってからすぐはいかにも芸能を学ぶ学校らしい(詳しくはないが宝塚歌劇団の学校に近い?)授業の風景などが描かれていてそんな彼女たちの日常や成長の青春の日々を真面目に描くアニメかと思っていたのだが、終盤で流れは一気に替わる。
幼い頃から演劇の道を一緒に志し、「一緒にスターになる」と誓いあった幼馴染の神楽 ひかりちゃんが転入するところから物語の歯車の動きは動きを変えて別の物語を紡ぎ出すのだ。

彼女の転校に喜ぶ華恋ちゃんだったがお相手のひかりちゃんはどこかよそよそしい。そんなひかりちゃんを心配して姿を消したひかりちゃんを探して放課後に学内を探し回る華恋ちゃんは学内に謎のエレベーターが存在するのを見つけてしまう。
謎のエレベーターは地下へ続いていて学校の地下には巨大な空間が、そして舞台装置が、そして謎のしゃべるキリンがいた。更にそこで繰り広げられていたのはクラスメイトの星見 純那ちゃんひかりちゃん真剣勝負だった。


どうやらその勝負で勝利するとポイントを得ることが出来て、それらの勝負に参加する演劇少女たちの中でトップの座を得ると「トップスタァ」として「最高の舞台」最高の舞台少女として君臨することができるという。
演劇の世界でより輝きたい少女たちはこぞって「トップスタァ」を目指して戦いの場である「レビュー」に挑んでいく。これが『バトル・ロワイアル』要素として今作を形つくるもう一つの大きな要素となっている。

これは物語の中盤以降に分かってくることなのだが、有る種の『バトル・ロワイアル』である『レビュー』に参加した舞台少女は「トップスタァ」として最高の舞台少女になれる可能性を得る代わりに「トップスタァ」になれなかった場合はその対価として「舞台少女としてのキラメキ」を失ってしまう。舞台少女にとって舞台でそのキラメキをもって演目を演じることは人生そのものなので、生きがいやその人生のすべてといっても良いものを失ってしまうことになるのだ。それなので舞台少女としてのキラメキを失うことは希望と引き換えに魔女になる定めと普通の少女としての生活を失うまどマギと似たような要素と言えるかなと感じた。

まず、今作における高評価ポイントとしてこの「レビュー」で行われる舞台少女たちの戦いのクオリティーの高さを挙げたい。
オープニング中の戦闘シーンからもそのクオリティの高さを感じることが出来るだろうし、第一話の最終盤からの戦闘シーンでもその凄まじい可能性について体感してみてほしい。
(ちなみにその第一話の戦闘からオープニングまでの流れがピークだった…とは言えない。)
平成最後の打ち切りアニメかと思われたメルヘン・メドヘンの再来と言われる『俺が好きなのは妹だけど妹じゃない』の登場やアニメ制作界隈のブラックな環境といった暗いニュースが多く暗雲立ち込める今後のアニメ界の展望に光を差すと言っても過言ではないくらい今作のレビューの戦闘シーンの作画や戦闘演出は良いものだと言えるのではないだろうか。

では、今作は手放しでおすすめできる神作品であるといえるのか?というと私はかなり厳しい評価を今作に下している。先程述べた通りとてつもなく良い評価を作品の一部に与えているのだから全体を通していまいちでもそれなりの評価を得てもおかしくない流れだったのに何故今作に厳しい評価をくださざるを得ないのか…それでは今作が制作されるまでにあたった経緯にまでさかのぼって説明しよう。

Wikiによると今作の概要は…
「アニメ」と「ミュージカル」が相互にリンクし合い、展開していく新感覚ライブエンターテインメントと銘打って、2017年4月30日に発表された。本作はミュージカルが原作となり、またミュージカルの主要キャストがそのままアニメ版等での声優を担当するという形式を取っており、漫画やアニメ、ゲームを原作とし、基本的にアニメ版等での担当声優以外の舞台系俳優によって演じられる2.5次元ミュージカルとは異なる。主要キャストは舞台女優(一部声優兼任)の肩書きを持つ人物が中心となっている。
メディアミックス展開としては、ミュージカルに先行する形で2017年6月よりWeb連載を開始、同年9月よりミュージカルが公演され、2018年にコミカライズ化、同年7月よりテレビアニメが放送開始。同年10月よりスマートフォンのiOS・Android用ゲームアプリ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト -Re LIVE-』が配信開始。
と記述されている。

つまり近年ありがちなアニメのヒット作品が劇場化の失敗とそれに伴う気高き「アニメ原理主義者」の批判によって燃え上がるツイッターという現状を打開するために先に劇場の物語として作られた物語をアニメ化してしまおうという流れをとっているのだ。
そのせいで、今作における「ストーリー」は本当に惜しい仕上がりになってしまった。

まず、全体的な流れとして主人公が全員と戦って(物理的にも精神的にも)絆を深めていくというエロゲにありがちな攻略スタイルをとっているのだが、それが今作のストーリー上の芯とも言える「バトル・ロワイアル」要素の結末にほとんど干渉していない。つまり、作中のやりとりは全体を通してみるとあまり意味があるものとは言えないものになってしまっているのだ。干渉させないならさせないで潔く綺麗にまとめれば良かったのにもかかわらず最終話にして急にそのことに脚本家が気づいて焦って書き足したかの様な9人のレビューに参加した舞台少女たちのメッセージのパートではテンポは悪いしかなり投げやりなシナリオ構成にかなり萎えてしまった。


他にももしかしたら思いつきとノリで今作は制作されたのではないだろうか?というぐらい雑な要素が見出される。今作のストーリーについて一言で語るなら「雰囲気だけで物語は薄い」で、もしかしたら今作において物語が見えてこないのは、難解だったり視聴者の経験値が足りないのではなく、ないから見せないだけなのではないかと思ってしまうほどだ。
それだけでなく、「演劇」と「アニメ」で映えるストーリーの構成は異なるのにそれを纏めてしまったかのうようなごちゃごちゃの演出や展開はアニメを視聴してきた視聴者層にとって違和感が残り、展開にのめり込めないものになってしまう要因となっている。
更に、一話毎に振り返るなら特に中盤以降に多く説明がつかなかったり過剰と思われる要素が多く『台場ななちゃん(通称バナナ)』の闇落ちとそれが簡単にひっくり返ってしまうくだりなど視聴者を混乱させたり没入感を阻害する要素にしかならないものが多すぎてラストが近づくほど「イマイチ」というか「なんだこれ」感が強くなってしまう残念なアニメが出来上がってしまっていた。


今作が実際の演劇での演目としての構成の影響を受けていることは先程述べたと思うのだがその構成の仕方が「日本的」な所について個人的に受け入れ難いものがあった。これは個人的な嗜好の問題なのだが私は、歌劇的に悲劇なら悲劇で喜劇なら喜劇で終わらせるべきだし、劇場で演目する物語に「余計に」謎解きとかドラマ的な展開を詰め込むのを好むストーリーが好きではない。つまり今作は個人的な私の嗜好に一切合致しない作品となってしまっているのだ。戦闘シーンもアニメの作画や演出としては良いのかもしれないが戦闘の様式や演出パターンに統一性がなく更には締め方がバラバラでぐちゃぐちゃなイメージしかないしそもそも演目としても興味がわかない。せっかく歌を絡めた劇にするなら最後の舞台少女たちの想いを告げるシーンも歌にすればよかったのに…となんとも残念な点が多くもう悲しくなってしまった。

つまり今作はただ女の子が百合して歌って踊って戦って仲良くなるだけ。
…まあそれで良いんだけどね!!ブヒィー!


…でもまって待って!!ノンノンだよ…確かにストーリーは酷いかもしれない…でも今作には百合があるじゃない!!


そう、なんと今作には救済されるべきポイントが存在する。戦闘シーンの高評価をもってしてもマイナスポインツへ振り切りそうな私の低評価をさらに覆す百合ポイントが今作に存在するということをここで伝えておかなくてはならないだろう。

まず、公式でのカップリングというか組み合わせが豊富で妄想の余地が広く残されていることについて挙げておきたい。
例えば主人公の華恋ちゃんと幼馴染のひかりちゃんについては5歳から恋人繋ぎで運命をキュンキュン感じちゃうばかりか、朝帰りまで果たしている。そして、相部屋のまひるちゃん、さらにはジュンジュンと組み合わせの可能性についてかなり幅広く匂わせる展開を用意していてそれが9人の舞台少女それぞれにあり、語りきれないカップリングについて本来のストーリーを無視してその少女たちの百合百合アナザーストーリーの妄想や薄い本の展開をはかどらせることによって今作を大いに楽しめる可能性を秘めていると私は断言しよう。


さらに、百合百合アイドルグループ系アニメの元カノ枠に有りがちな闇落ち回もある。ひかりちゃんの登場によって華恋ちゃんとの少し距離が空いてしまったまひるちゃんが華恋ちゃんの枕の匂い嗅いでしまったり使用済みのタオルに欲情して、果にはロッカーを漁って水筒で間接キスをしようとするシーンまである。この流れは私にとって今作を視聴する最も大きな原動力となった。これは間違いない。


ヤンデレ?サイコレズ?ノンノンだよまひるちゃん、ロッカーを漁ってるまひるちゃんはキラキラ輝いてみえたもん!

全体的に振り返ってみてどう考えるか、今作についての評価は非常に難しい。
今作について予算ややる気については十分なアニメだったと私は考えている。部分部分で切り取ると映えるシーンはたくさんあるし作画もかなりクオリティが高い部類に入るのではないだろうか(怪しいところも2回ほどあったが)
その一方でストーリーについてはほんとうにどうしようもないほどしょうもないと言わざるを得ないものとなってしまっている。
今作の言い回しに似せて言うならば「どこで運命の歯車は(微妙な方へ)狂ってしまったのか」といったところだ。
だがその一方で今作が実際の演劇とアニメーションがつながった作品として非常に珍しい展開をする新たなタイプのアニメであるということを考慮する必要があるだろう。もしかしたらこの手のアニメは増えてその過程で今作の教訓や経験が活かされてとてつもない名作が生まれて「劇場でのミュージカル」「アニメーション」のコラボという流れがこれからのアニメ制作の世界を席巻するかもしれない。
そんな可能性を秘めたアニメ、ぜひとも視聴してみてはいかがだろうか?

クソアニメレビュー第99期生、Kurimer、全てをクソレビューしちゃいます!!

第一話の限定公開もあるんだよ…

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