「ほとんど整数」という概念-「ほとんど」何とか(1)
はじめに
皆さんは「ほとんど百合」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?その名の通り、ほとんど百合に近いのだけれども、微妙なすれ違いや思い違いで完全な恋人ではなくて百合でもないものです。
なぜ、これが興味深いのかというと、一見しただけでは、通常の作品から「ほとんど百合」に該当する二人が登場するからなのです。
それがどうした、という風に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが興味深いと思われる人は引き続きこの記事を読んで見て下さい。
ほとんど百合という概念
実は「ほとんど百合」に明確な定義がある訳ではないのです。恋人関係までに「愛の告白」や「スキンシップ」を何度続ければ「ほとんど百合」と呼んでいいのかの決まりが無いからです。英語では文字通り「Almost Yuri」と表現されています。
「ほとんど百合」については、単なる妄想というわけでもなく、人文学や天文学的な理論の裏付けがある場合もあるというから驚きが隠せません。
ほとんど百合の具体例(その1)
例えば,「響け! ユーフォニアム」ではいくつかの「ほとんど百合」を発見することができます。実際には百合作品として定義されることもないのですが私は「響け百合フォニアム」と呼ぶほどです。まずは実際にこの作品が「ほとんど百合」たる所以を見て頂きます。
このシーンをセンター試験に出題してこの二人の関係は?という問いを出せば100%「恋人関係」の選択肢が選ばれることでしょう。
- まっすぐ見つめ合う二人
- 麗奈のためになら周りから疎まれてもかまわないと宣言する久美子
- 頬を触って近づき「側にいてくれる?」に「うん」と頷く二人
- 裏切ったら殺してもいいと命をかけて約束を交わす二人
- そして最後に「だってこれは愛の告白だから」
すべての項目がこの二人が恋人関係である「百合である」と示しています。それもただならぬ強い関係で結び付けられている「超百合」状態であるということを示しているのです。
このようにどう考えても「百合関係である」このふたりが公式設定として百合関係にはならないということは何とも不思議な気持ちがするのではないでしょうか。
ただし、今作が百合に近い理由は決して偶然ではなく、理論的に説明できるとのことだそうです。今作のファンのうちの一人によると「その説明には「全体を通してみることによって」友情や青春というワードを用いて説明することができる」とのことです。
ほとんど百合の具体例(その2)
さらには代表的アニメとして知られるゆるゆりについて、
百合≒友情
等となっています。
これは割と簡単にその仕組みを説明できます。
ゆるゆりが示す百合は友情の枠を超えるか越えないかのギリギリのラインであり一般層からも抵抗感の薄い人間にとって安定して美しい百合とされているものです。
百合にはカップリングというものがあり,作中の登場人物のだれとだれが惹かれ合っているのかを示す方程式が存在します。時には「歳納京子×赤座あかり×船見結衣」の様に多項式になる場合もありますが基本的には二人の間柄やどちらが主導権を握っているかなどを示すものです。
そしてそのカップリングの数が増えるとパッと見て友情の枠を越えていない「百合でない」作品であっても想定されうるカップリングの数が増えると限りなく百合作品に近づいていくということがあります。
具体的には例えば以下のような感じです。
- 「杉浦綾乃×歳納京子」
- 「池田千歳×杉浦綾乃」
- 「大室櫻子×古谷向日葵」
- 「吉川ちなつ×船見結衣」
- 「船見結衣×歳納京子」
- 「あっかりーん…」
ここでカップリングの数が増えると一つ一つの密度が高くなくても限りなく百合に近づいて行くということが分かります。
これを聞いてしまうと、「何だ、そういうことか」と思えるかもしれません。
ほとんど百合の具体例(その3)
ただし、全てがこのような形で合理的に説明できるわけでは無い様です。
例えば、
「ごちうさ」
については『ほとんど百合』とされていることもありますがその理由の十分な説明はこれまでのところ発見されていないようです。
ほとんど百合となる理由
以上のように、ある条件下でアニメが「ほとんど百合」になることについては合理的な理由が存在するものや、その説明が与えられておらず、単なる願望と考えられているもの等、様々なケースが存在しているようです。
因みにキスはノルマと呼ばれる無限にキスの続く無限キス「桜トリック」は「ほとんど百合」ではなく完全に百合に等しいのでお間違いのないようにお願いします。
最後に
すみません。この記事を読んだあとに「ほとんど」頭が真っ白になってしまっている人がいらっしゃったら申し訳なく思っています。また、百合作品や「ほとんど百合」作品について「ほとんど理解不能」と思っている人がいることも「十分理解」できます。
ただし、こうした願望に近いようなことが実は重要な奥深い文学的,天文学的な理論に関係している?という事実はなんとなく楽しい気がするのではないかと思った次第です。
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