筆者の百合作品への傾倒を背景としてアニメの評価において百合作品を有利とするため際限なく評価値にポイントを上乗せしている状況を反映する。
概要
百合は素晴らしい。
歴史
アニメが未発達な時代では作画や視聴者層の浅さの関係でその内容よりも数が問題だった。
ダ・カーポやサクラ大戦の時代ではおっぱいの大きさがアニメ評価の目安だった。評価を挙げるためにおっぱいは大型化していた。
アニメの制作技術の進化や視聴者層の多様化によってその優劣が「おっぱい」以外において明らかになるとおっぱいを揺らしたりまた、敢えて小型化したりすることが見られたものの、技術の進歩に従っておっぱいが揺れるのは当たり前となり、作品には新たな付加価値が求められて「作画型」や「ストーリー型」などさまざまなアニメへと分岐した。
アニメの制作競争は「涼宮ハルヒの憂鬱」から始まるアニメ文化のブームやオタクというワードの一般化に伴い激しくなり、アニメそのものの質だけでなく特定層をターゲットとした特化型アニメが誕生し当然のごとく百合をテーマにした作品や展開が増えていった。
百合作品とキス
時系列から見ると百合至上主義の傾向は百合作品中のキスやスキンシップの増加と関連している。「桜トリック」が衝撃的だったのは毎話にねっとりとした情熱的なキスをかならず1回は入れてくるという手法の完成あってのことである。
それまでの百合作品では手と手が触れ合っただけで顔を赤らめたりどちらかというとプラトニックな要素が多かったが他作品も含めて最近のより「ダイレクト」な表現手法をためらいもなく用いる傾向により「キス」だけでなくより過激な行為に及ぶシーンも増えていてとても素晴らしい。
桜トリックにてキスをする二人(とても素晴らしい)
批判
もちろん百合至上主義に基づく採点には「百合作品であるというだけで他の両作品をはるかに超える採点をつけるのは如何なものだろうか」という批判が存在する。
だがそんなものは知らない。百合とは絶対的な加点要素なのだ。
出典
「ほとんど百合」という概念 -「ほとんど」なんとか -
桜トリック
citrus
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